私たちが大麻取締法を見直すべきだと考える理由

大麻取締法の問題点について、簡潔にまとめたものが少ないので、これまで非犯罪化運動が述べてきたことを整理してみました。これはカンナビストの公式な見解ではなく、関西カンナビスト幹事の私的な意見ですが、カンナビストや、国内外を問わずその他の非犯罪化運動団体の意見と大きく異なるところはないと思っています。

 また、以下の説明は、大麻非犯罪化運動や大麻についてあまり知らない読者を対象にしています。すでに多くの知見に触れている方にとっては繰り返しが多くなってしまいますが、ご容赦下さい。

 

 

1、罰則規定があまりにも重過ぎる

 

 

 大麻取締法の罰則は単純所持で「懲役5年以下」、栽培や輸入で「懲役7年以下」であり、営利がついた場合はさらに重くなります。通常、初犯で逮捕された場合は執行猶予つきの懲役2~3年、営利や所持量によっては実刑になる場合がありますが、忘れてはならないのは「懲役刑」という罰則を科される場合、普通は会社や学校から追い出され、地域社会からも排除されることが日本社会では慣例となっているということです。

 

 

 刑法総論のどの教科書にも書いてありますが、懲役刑禁固刑とはまず「人の自由を奪う」ものであるため、その適用はもっとも慎重かつ合理的な理由がなければなりません。その合理性とは、1)刑を科すことによる犯罪の抑止および違反者の更正による再犯の防止と、2)被害者に対する感情的な修復(修復的司法)の二つがあげられますが、まず大麻所持はいうまでもなく「被害者なき犯罪」(Shur 1965=1981)であり、修復的司法とは関係がありません。

 

 

 さて、犯罪・再犯の防止が合理的であるのは、その犯罪行為が、他者の法益を侵害する場合(窃盗や暴行)や、あるいは社会の福祉・秩序を著しく侵害する場合(通貨偽造や毒劇物の所持)に限られますが、では大麻所持は、誰の法益を侵害しているのでしょうか?

 

 

 大麻が、もしも仮に何らかの疾患の原因物質だったとして、単純所持はいうまでもなく、「自分で毒物を飲んだ」ことに対する罪ということになります。自傷は罪ではなく、人間には愚行権があります。しばしば「大麻を所持すること自体が罪」であるかのような報道がなされますが、これは明らかに誤っています。大麻が仮に強い毒性のある物質だったとしても、リストカットをすることがバッシングされてはならないように、大麻を自分のために所持すること自体が非難されてはなりません。これは大麻に限らず、近代市民社会であればあたりまえの話です。そうではなく、ギリギリのところで大麻取締法の根拠があるとすれば、それは「大麻を他者に譲渡する可能性がある」かもしれないからです。

 

 

 ある物質を使って、そのことが死亡事故や暴行事件の原因になる場合は、その物質の所持が犯罪とされることは、ありえることです。しかし後段で述べるように、大麻はコカインやアルコールのようなアッパー・ドラッグとは全く異なり、暴行事件の原因にはなりえません。ある物質を使うことで、自分の体を傷つけるかもしれない、あるいはその使用者の体を傷つけるかもしれない物質が他者に譲渡されてしまう可能性があるかもしれない(すでに譲渡したのですらなく!)、ということに対して、「懲役5年」はあまりにも重過ぎると私たちは考えます。

 

 

2、大麻の有害性

 

 

 譲渡する可能性を規制するというならば、その物質がもつ「有害性」は極めて大きいものだと考えなければなりません。少なくともアルコールとタバコが合法であるのであれば、最低でもアルコールやタバコと比較して明白に、人体に大きな悪影響があることが実証されている必要があります。アルコールやタバコと同程度の有害性を持つのであれば、大麻所持に懲役刑を科す合理的な根拠は全くありません。

 

 

 

 ところが、大麻はあらゆる角度からみて、アルコールやタバコよりも小さな悪影響があることはいえても、大きな影響があることは認めにくいのです。このことは、イギリスで最も公的性の高いドラッグ諮問機関ACMD(Advisory Council on Misuse Drug) が繰り返し政府に対して勧告し、大麻の個人所持は刑法の範疇に含めるべきでないことを主張してきましたし(ACMD, 2002 & 2007)、同様の見解はEUのドラッグ諮問機関であるEMCDDAや、カナダ上院議会での報告書(Canadian Senate Special Committee on Illegal Drugs)、全米医科アカデミー(IOM)、さらには従来、大麻の個人所持を罰すべきだとしてきた米国の国立薬物乱用研究所NIDAの研究者も主張していることです(Henningfield 1994)

 

 

 結論からいえば、アルコールおよびタバコと比較した場合、人体(依存性、耐性、疾患との関係)および社会(暴力犯罪、中毒者の増加)に与える影響をそれぞれ個別に算出したとしても、大麻の持つ悪影響はアルコール、タバコよりも低い、それもかなり低いことは大多数の薬学、疫学、社会統計学の専門家が主張するところであり、これに対してアルコールなどよりも重大な影響があると主張しているのは実質、米国麻薬取締局(DEA)や日本の「ダメ絶対センター」などのような、大麻所持に対する「ゼロ寛容」政策を実施している国の当局機関だけであろうということです。

 

 

 厚労省は大麻の悪影響をどちらかといえば強く書いた報告書を翻訳していますが(WHO97年の報告書)*1、それですら、アルコールよりも甚大な影響があるとは書かれていません。もちろんいうまでもなく、大麻は全く無害な物質ではなく、とくに未成年や精神疾患の素因がある人にとっては悪影響がある場合があるかもしれません(これは私たちが何度も何度も繰り返し、そして無視されてきたことです)。しかし、その影響は、どれだけ大きく見積もってもタバコと同程度か(依存性および発がん性は明らかにタバコよりも低いですが)、真摯に薬学・疫学研究と向き合うのであれば、アルコールやタバコよりも少ないと考えられるものです。

 

 

 当局は、「大麻が無害な物質だと喧伝する人々がいるが、大麻は決して無害でないから、摘発すべきだ」と述べます。そうではなく、当局は「大麻がアルコールやタバコと比較して、重大な悪影響があることを立証」すべきなのです。「無害でないこと」自体が刑罰の根拠になりえないことは明らかであり、その物品がもたらす人体、あるいは社会への影響が極めて深甚であり、明らかにアルコールよりも大きな悪影響があることが認められないのであれば、違法な売買や製造にではなく、個人の所持それ自体に「懲役5年」を科する理由には全くならないものと、私たちは考えます。

 

 

以下、有害性に関してまとめます。

 

A)統合失調症などの精神疾患になる可能性

 ゼロではありません。未成年や統合失調症の遺伝的素因がある人の場合、リスクファクターになる可能性があります。健康な成人の場合、大麻喫煙が統合失調症の直接的原因となることは稀であり(研究によって様々なデータがあります、全く影響がないとする研究から、リスクが41%増加するとする研究もあれば(H Moore and Zammit 2007)41%増加すると言った研究者が、1年後に再分析したところ擬似相関だった可能性が高く、影響はやっぱりなさそうだと言ったりします(Zammit & T Moore 2008)*2、このことは大麻がアルコールやタバコと同様に、未成年者の使用・譲渡を規制する理由になりえると思います。

 

 

 ここで重要なのは、いずれにせよ、アルコールがアルコール依存症という固有の精神疾患(あるいはそれ以外の精神疾患)に対して明白な因果関係をもっているようには、大麻と精神疾患の関係は明白ではなく、また、一般にWHOなどで「大麻精神病」として分類されているものは、アルコール依存症のような重篤な疾患ではなく、「短期的なバッドトリップで驚いて、救急車を呼んだ人の数」が大多数であることにも注意する必要があります。厚労省はWHOのレポートを参照する程度なのですが、もう少し丁寧に研究の蓄積を読み、判断するのであれば、近年の薬学・疫学研究でアルコール以上に大麻喫煙が精神疾患の要因になることを主張する研究は、まずありえないことに気づくはずです(少なくとも2000年以降の研究では、そもそも、アルコールよりも影響が少ないことはほとんどの研究の前提で、その上で影響の多寡が議論されている、というのが総論としては適切です)。

 

 

B)大麻と暴力犯罪の結びつき

 ないことがあまりにも明白で(ACMD 2002など多数)、近年では研究のテーマにもあまりなっていません*3。むしろ、大麻喫煙と暴力犯罪の関係はマイナスの相関関係にあるとも考えられます。これはアルコールが明らかに暴力犯罪とプラスの相関関係にあることと対照的であり、そして、ある物質を規制する根拠として、もっとも問題になりうるのは、その物質を用いることで、暴力犯罪を引き起こす可能性(他者の法益を直接侵害する可能性)が高まることであろうことから、この点はもっと重視されるべきです

 

 

C)大麻はゲートウェイ・ドラッグである

 ゲートウェイとは、大麻を用いると、徐々に強いドラッグに向かっていく(入り口になる)ということですが。これは米国の麻薬取締局が長年つかってきたレトリックです。これは大麻と精神疾患の関係同様、多くの因子を含んでいて、そもそも大麻が違法な地域であれば、大麻のバイヤーは他のドラッグも扱っており、またいわゆる「良俗の人々」よりも「不良」が、大麻に手を出すことは当然の話です。これは大麻それ自体の効果がゲートウェイになっているのではなく、「違法な物質」が社会的なゲートウェイになっているだけということになります。

 

したがって、ゲートウェイを考える際、「社会的なゲートウェイ」と、「薬理的なゲートウェイ」を分けて考える必要があります。そして、社会的なゲートウェイは、当然ながら、大麻が違法な地域であればあるほど、強くなります。もちろん当局は「社会的なゲートウェイ」が存在することが「大麻がゲートウェイ・ドラッグ」である証拠だと主張して譲りませんが、疫学、社会学的観点からは、それは「大麻の薬理効果」と「大麻に限らず、違法な物品とハードドラッグ使用との相関関係」を混同していると言わざるをえません。

 

 英国やオランダのように、社会的なゲートウェイが日本よりも小さな地域の事例から考えてみると、オランダや英国で大麻の罰則が見直された時期以降、ハードドラッグ・ユーザーが明白に増えたという報告はなく、年度によっては減っています。薬学的な見地からは、大麻の薬理効果の中にゲートウェイ作用を担うものは認められないと、IOM(全米医科アカデミー)報告書にもあります。

 

 

 したがって、大麻が違法な地域で、大麻ユーザーの中に覚せい剤などのユーザーが多いのは、ギャンブルのユーザーが貸し金の顧客である率が高いのと同じように、あたりまえの話です。しかしそれは大麻の薬理効果とハードドラッグ使用との直接の関係を説明するものではなく、社会的に、そのような相関が創り出されているだけのことです。これは大麻取締法の罰則を改定し、大麻がそれほど「道徳的・社会的に悪い」物質だというイメージが変化し、違法なドラッグ・マーケットで大麻が扱われなくなれば、改善されると考えることもできます。

 

 

D)大麻と依存性

 身体的依存性はコーヒー以下であり、ほとんどありません。アルコールやタバコとは比較にすらならず、この点は当局も認めるところであると思います。精神的な依存性はありえます。パチンコやセックス依存症があるように、大麻に精神的な依存をする可能性は常にありますが、極めて強い嗜癖性があり、多くの人がやめられなくなる、といったものでは全くありません。さて、当然依存がなんであれ、例えばパチンコ依存症になることは懲役刑を科す理由にはなりません。依存症を考える際、「依存症になりやすいか」という点と、「その依存がどのような問題をもつか(退薬症状の強さなど)」という点は分けて考えなければなりませんが、大麻にはそもそも「退薬症状=禁断症状」がほとんど存在せず、仮に精神的な依存が発生した場合でも、アルコールやヘロインなどとは異なり社会生活に重大な影響を与える事態にはならないといえます。

 

 

E)大麻と致死的な疾患の可能性

 アルコールが肝硬変と明確な因果関係があるのに対し、大麻が肝硬変のような重大な疾患と関係があるかは明白ではありません(当然、肝硬変の可能性はゼロです)。重大な疾患として可能性がありえるのは、肺がん、および喉頭がんであり、これはタバコと比較すべきですが、いうまでもないことを先にいっておくと、ガンになる可能性があることは、教育や医療を行う理由になっても、懲役刑を科す理由になりません

 

 ガンと大麻の関係については、すでに長くなったので結論だけを書くと、タバコよりもリスクは低く、大雑把にいうと「吸い方」に依存する問題です。いわゆるジョイントで、かつヘビーユーザーであればガンの発症率は高くなるかもしれないのですが(これですら明確ではなく、研究者によって議論が分かれますが、近年の研究の大多数は大麻のガン発症率はタバコよりもかなり低いことを主張しています、例えば(Hashibe et al 2006)など)、ヴェポライザーなどを使った吸入で、ガンの発症率が上がる可能性はほぼゼロです。そのほかガン以外の、致死的な疾患と大麻の関係は認められません。

 

 

F)そのほか

 その他、致命的でなく、他者に影響を与えるのではない影響についての研究も多数あります(記憶と大麻、無動機症候群と大麻など)。ここでは、あくまで大麻に懲役刑を科す理由として、大麻の有害性についてまとめているので、仮に大麻と無動機症候群の関係が実証されても、何度もいうように「無気力になる」ことなどは懲役刑に値しません。

 

 罰金などの制限ではなく、また製造や無免許販売にではなく、あくまで単純所持に懲役刑を科す理由として、合理的な理由があるとすれば、ある物質が「暴力犯罪」に結びつきうるか(覚せい剤・コカイン・アルコール)、急性致死や、致死的な疾患との非常に強い結びつきがある(ヘロインなどのハードドラッグや、アルコール)場合のみだと考えていいと思います。そして、大麻にこれら両者のいずれかがあるかどうか、といえば、明らかに答えはNoです。少なくとも、アルコールが強い依存性を持ち、肝硬変や脳機能障害の原因物質になりえ、暴力犯罪や危険運転の原因になることを考えれば、これよりも甚大な影響を大麻がもっていると主張する薬学・疫学研究は、近年皆無といっていいでしょう。そして、私たちは禁酒法に対してNoというのであれば、なぜ大麻を摘発することに無自覚なYesを繰り返してきたのでしょうか。

 

 

3、大麻取締法と自由

 

 

 J.S.ミルは、「他者に危害を加えようとする」のでない行為を規制することはできず、「他人のためになるから」という理由で規制を行おうとすることは国家や社会による権力の濫用だと述べましたが、大麻非犯罪化運動家の大多数はこのような理由で、まず自由主義者であり、開かれた近代市民社会を君主制や「多数者の専制」よりも望ましいものだと考えています。

 

 

 大麻は全く無害な物質ではありませんが、それが「無害ではない」から「健康を害する可能性があるから」といった理由で、人間の自由を奪い、社会から排除する理由には決してならないものと、私たちは考えています。健康を害する可能性があるから逮捕をするのでは、これは逆のことを志向しているのであって、健康を害した人々は病院にも行けず、他人に相談もできず、結局、摘発がさらに健康を害することを帰結するだけです。私たちは禁酒法がバスタブ・ジンとアル・カポネを生み出したことから学ぶべき必要があります。

 

 

 必要なのは、教育と医療と、そして何よりも、どのような人々の自由をどのような理由で国家は奪いえるのかについての開かれた議論であり、ポッパーやハーバーマスを引用するまでもなく、私たちはこうした意味において、強く民主主義を求めるものです。

 

 

 民主主義の強力な擁護者であったW. リップマンは、我々は「認識から定義する」のではなく、「定義から認識」しがちであり、そして「定義からの認識」は、民主主義を硬直化させる反知性主義につながりうるものだと戒めています。現在の日本社会は、大麻に限ったことでは無論ないのですが(およそあらゆるマイノリティに対して、そうした傾向が強いのですが)、特に昨今の報道や世論の大麻バッシングは、リップマンが危惧する民主主義の硬直化をうかがわせるものではないかと、私たちは考えています。民主主義は、多数者の決定をよしとすることでは断じてなく(それは単なるマジョリタリアンであり、多数者の専制です)、多数者によって認められていない人々の発言に耳を傾けることによってしか実現されません。民主主義とは開かれた公共性に他ならないのです。

 

 

4、大麻取締法を、どう改定すべきか。

 

 

 撤廃すべきです。その上で、私たちはタバコなどと同様にとくに未成年者に対する教育と、未成年者への譲渡や販売の規制、運転などに対する規制などを科すことが適切であろうと考えています。端的にいえば、大麻の個人的な喫煙は懲役刑の対象から、教育や医療といった公衆衛生の問題としてシフトさせていくことが望ましいでしょう。同時に、医療大麻の使用は広く認められ、患者が多様な治療を選択できる権利を守っていく必要があります。こうした政策の転換(ゼロ寛容政策からハームリダクション的な政策)は、「単一麻薬条約」が改定されなくとも、国内法や警察の運用を変化させることで可能であり、例えばハワイ州など米国の数州における住民投票で、大麻所持への警察活動の優先順位がもっとも低い水準へと移行させることが決定されたように、法および警察の運用を変化させることで、数千名もの逮捕者を出す事態は避けることができます。私たちは、「ゼロ寛容」の「排除型社会」を拒否し、包摂と自由主義の組み合わせを刑事政策の基礎におくべきだと考えています。

 

 

5、大麻についてのよくあるデマや誤解

 

 

A)大麻の個人所持に懲役刑などの厳罰が科されないのは、オランダくらいだろう。

 

 営利ではなく、少量の大麻所持に懲役刑などを科さず、罰金や不起訴処分、あるいはそもそも実効的な摘発をあまり行っていない国は、OECD各国に限定していえばEU加盟国のほとんど全てと、アメリカ(の一部の州)を除く北米の全てと、オーストラリアです。

 

 逆にいえば、大麻所持に懲役刑を科しているいわゆる先進諸国は、日本とアメリカの保守的な州と、シンガポールくらいです。

 

 

B)「大麻精神病」について書かれた日本の精神科医による論文があって、そこには「統合失調症」の原因になると書かれている。

 

 確かにそうした論文もあります。日本の精神科医が大麻に関して書いた論文は全て読みましたが、とくに70年代から80年代にかけての論文は、LSDやアンフェタミンなどのドラッグ使用歴のある患者を「大麻精神病」だとしていたり、海外留学や失業など生活環境が変化した直後に「発症」したケースなどが紹介されており、海外査読誌の水準からすれば話になりません。また、紹介事例も10件以内と小数であり、アルコールや覚せい剤との比較を行った疫学研究はほとんどありません。90年代以降も、同様のずさんな論文が生産されており、まずは英米査読誌や公的機関に掲載されたドラッグ専門家による論文を信頼すべきだと考えます。

 

 

C)オランダなどで、大麻の罰則が撤廃されたのは、ハードドラッグに向かわせないための苦肉の策で、本当は罰したほうがいいんだ。

 

 この手の議論は、何度もメディアで言われますが(最近のものだと例えば朝日のこの報道)、ほとんど流言だと断定していいと思います(デマの出所は、80年代以降の米国麻薬取締局だと思われます)。そもそも、オランダで大麻の罰則を見直すべきだとの報告が、保険省などで行われていた70年代、オランダではコカインなどのユーザーは小数であり、単に「大麻にどれほどの有害性があるのか、懲役刑に値するかどうか」が議論の対象となっていました。その結果、オランダでは大麻に懲役刑を科す理由はないことが認められたのであり(スイスやベルギー、デンマークなども同様)これは当時のオランダにおける報告書をみれば、一目瞭然で、メディアはデマをソースにした報道を行っているだけです。もちろん、大麻を非犯罪化することがハードドラッグ使用率の減少につながりうるとの議論や研究はありますが、少なくともオランダが大麻を非犯罪化した理由は、大麻の人体、社会的影響が小さいと結論づけられたためです。

 

 この手の議論のすり替え(カリフォルニアでは税金を得るために、大麻を苦肉の策として合法化しようと考えているのだ、など)は、社会学的にいえば、認知的不協和の第一段階にみえてしまいます。

 

 認知的不協和とは、これまで言われてきたことと、実際に起こっている出来事との間を埋める為に、これまで言われてきたことを正当化しようとする説明方法を行うことで、もともとは終末論やUFOを信じる新興宗教の研究から出てきた概念です。

 認知的不協和それ自体は人間良くあることで、大きな問題ではないのですが、これが「他者を投獄しつづける理由」などに対して適用される場合、私はこれを非難します。

 

 

さいごに

 

 

 私たちが大麻取締法を見直すべきだと考える理由は、もちろん以上の他にも、いくつもありえます。上記の理由はあくまで基本的な見解をまとめたものに過ぎませんが、私たちがもっとも強く主張しているのは、「社会の福祉」「個人の健康」のためにといった理由で年間数千人もの逮捕者を出し、これを社会的に排除するという事態が、果たして本当に必要なのかどうかということです。当局の見解は、あまりにも「逮捕された人々」の<生>に無関心であり、こうした人々への排除は、大麻取締法の「コスト」としては算入されていないようにみえます。こうした事態は、かつて、そして今でも、ハンセン氏病患者の人々が受けてきた処遇、すなわち「社会の福祉」のための「隔離と排除」を正当化し、隔離される人々の<生>についてはほんのわずかも省みられることがなかった排除型政策を思い出させるものです。

 

 私たちは、こうした「数えられることのない人々の生」について語り、そして大麻所持の摘発を支持することは、同時にある人間を投獄し、社会的に排除することを支持するものだということを、常に思い出さなければなりません。大麻所持は銃器の所持や、あるいは傷害罪のような他者の身体や財産を直接傷つけ、あるいは傷つけうるものではなく、もっとも悪い場合でも喫煙者自身の健康を害するだけであり、そしてその可能性すらもアルコールなどと比較して明白に高いとは言いにくいものです。

 

 「社会の福祉を守る」ための投獄にはNoを、教育と医療、そして開かれた議論に対する最大限のYesを、私たちは主張しています。

 

 

 

*1 97WHOのレポートは、機関としては中立的にみえ、また実際見るべきところも多くあるのですが、他の機関の報告書よりも大麻の悪影響の考察に多くのページを割いており、「中立かつ公正にみえ、それでいて大麻の悪影響が強調できる」もっとも「適切な」レポートを政治的に選択したのだと思います。ただ、これだけを紹介するのはフェアーではないので、他の信頼性の高い機関の報告書として、ここではイギリスでのドラッグ政策諮問機関ACMD報告書、およびカナダ下院議会での報告書、IOMのレポートも同時に参照すべきだと述べておきます。そして、これらの報告書は97WHOのものよりも新しい知見を参照しており、その結果として大麻の悪影響をより小さく算出しています。いずれにせよ、97WHOレポートを根拠におくということは、私は大麻取締法の根拠に疑問を投げかけることだ、と思っています。

 

*2 相関関係にはいくつかあって、アルコールの大量飲酒と急性アルコール中毒のように因果関係が明白なものから、おおくの因子が含まれ、また長期間にわたるため、因果関係があまり明白でないものまで存在します。大麻と精神疾患の関係は当然後者であって、したがってまず、大麻と精神疾患の因果関係が明確になるためには、例えば他のドラッグ(アルコールを含む)の使用と大麻の関係、性別、階層、職歴といった多くのバイアスを除去しなければなりません。このことは、リンクにもあるZammitの研究にも書かれていて、大半の大麻と精神疾患に関する研究は、これらバイアスの処理が不適切である場合が多いとZammitも指摘します。当たり前の話ではありますが、大麻ユーザーの多くが、仮にアルコール使用率が高いのであれば、これと精神疾患の結びつきは、実はアルコールと精神疾患の結びつきであるともいえますし、同様のことは生育環境や出身階層、性別などなど無数の要因にもあてはまります。こうした母集団の取り方と因子除去の方法をめぐる格闘は、大麻と精神疾患研究のもっとも大きなテーマなのですが、当局や厚労省はWHOのレポートを翻訳する程度で、こうした研究内容をほとんど精査していません。

 

*3 2000年以降の研究で、アルコールやコカインなどと、大麻によって引き起こされる暴力犯罪を比較したものとしてBlondell(2005)があります。この研究ではアルコールとコカインの使用は暴力犯罪の発生と明確な相関関係があるのに対し、大麻には暴力犯罪との相関関係は全く認められなかったことが主張されており、同様にACMD(2002)やカナダ上院議会での報告書にも、大麻喫煙が攻撃性や、リスク行動を高める傾向は認められないと書かれています。

 

 

文献

ACMD(Advisory Council on the Misuse of Drugs), 2002, The classification of cannabis under the Misuse of Drugs Act 1971.

 

ACMD, 2008, Cannabis: Classification and Public Health.

R. Blondell et al. 2005. Toxicology Screening Results: Injury Associations Among Hospitalized Trauma Patients. March 2005. Journal of Trauma Injury, Infection, and Critical Care, 58: pp561-70.

 

Hashibe, M., et al, 2006, Marijuana Use and the Risk of Lung and Upper Aerodigestive Tract Cancers: Results of a Population-Based Case-Control Study, Cancer Epidemiology Biomakers & Prevention, Vol15, pp1829-34.

 

Hennigfield, J. E., 1994, “Is Nicotine Addictive? It Depend on Whose Criteria You Use” in NewYork Times Aug.4.

 

Moore, H., Zammit, S. et al, 2007, Cannabis use and risk of psychotic or affective mental health outcomes: a systematic review, Lancet, July; 370, pp319-28.

 

Shur, E. M., 1965, Crime without Victimes, Prentice Hall. (=1981, 畠中宗一訳, 『被害者なき犯罪』新泉社).

 

Zammit, S., Moore, T. et al, 2008, Effects of cannabis use on putcomes of psychotic disorders: systematic review, The British Journal of Psychiatry, 193: pp357-63.