大麻資本主義

智頭と石垣の事件を受けて、世間的なバッシングが起こりましたが(今も起こってる?)

ちょこちょこ擁護する意見も出ています。

 

こういうのとか

www.itmedia.co.jp

 

これです、ホリエモンも似たようなこと言ってました。

zuuonline.com

 

 

要するに、北米や欧州だと合法化が進んでいて、医療大麻ビジネスや観光産業が潤っている、こうしたリアルな経済活動をみるなら、必ずしも大麻合法化は不合理ではなく、経済的な功利性があるから認めてやってもいい、というお話です。

 

ふざけんな

 

どこかで聞いたお話に似ています、原発が最終的に経済合理性があるのならOKだとか、あるいは経済的に見てもSTOPだとか、生活保護は財政的に問題があるとか、いやいや内需にマイナスはないから認めろとか、そういったお話。

最終的な審級はいつでも、経済的合理性だけです。

 

確かに、観光税収がどうとか財政はどうだとかいう話はとても重要でしょう。そのこと自体を否定するつもりは全くありません。

しかし一方で、こうしたお話は現実に生きている、「逮捕されていく人々の営為」「原発が地域住民に与える影響」はいつでもコスト外です。それらはせいぜい「補償」「刑務所コスト」などの数値に還元されてしまい、逮捕された人々や避難した人々がどこにいこうがおかまいなしです。

本来不可分である人間一人一人の生(individual)は、ここで各種の統計数値や経済的コストに分割され(dividual)、何かが経済的に有用であればその限りにおいて認めてあげようと、このような人々は微笑みながら言います。それでいて逮捕されたのは自己責任だから知らないって?クソったれ。

 

米国の合法化議論でも、こうした問題は議論されてきました。税収面や財政論争が必要なのはもちろんです。しかし一方で、それだけに議論が終始してしまうことは、各州の合法化論争ではほとんどありませんでした。

ここではいつも、大麻所持で逮捕される人々が低所得の黒人が圧倒的に多いこと。戦前から60年代にかけての大麻取締法の成立経緯がカラードに対する人種的偏見に依拠していること。そしてレーガン政権時代に、これらの社会的弱者への「ゼロ・トレランス」が開始され、大量の黒人やヒスパニックがごく少量の大麻所持という微罪で逮捕され、そのまま牢獄に直行させられたこと。

だから大麻合法化の是非をめぐる議論では、いつでも次のような画像が参照されたのです。

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逮捕される人々のうち、白人はわずかに茎の部分のみ。残りはカラードであり、大半が都市か郊外に暮らすアンダークラスです。しかし合法化されたディスペンサリーで高額の「医療大麻」を買うのは白人がめだちます。

これはフェアな法の運用なのか、法それ自体がもたらしている「逮捕された人々の生活に対する影響」とは何か、これが問題なのです。しょぼくれた財政のいくばくかのマネーのほうが、こうした現実に逮捕される人々の生よりも重要だなどと言う人がいれば、それは知的不感症ではないのですか。

 

マネーの観点でのみ社会を捉える通俗的な経済右派は、例えば70年以前のかつて同性愛を禁じたソドミー法に対しても、財政と経済規模でのみ議論をしたでしょう。同性愛を合法化したほうが経済的に合理的だとか、性病治療のコストはこうだなどといった偏見も交えながら。ここでは当事者の人生など、どうでもいいのです。

 

私たちはいつでも、まず人々の生から出発したいと思っています。そしてその上で、法規制がどのように財政と関連しているのか、これは付随する次の問題です。

ご意見歓迎 cannabisty@gmail.com

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