『アウトサイダーズ』と60年代アメリカ
秋です。やっと仕事が一段落したので投稿してみます。
先月はボードリヤールの『人口楽園』を紹介したのですが、今日は1960年代アメリカの『アウトサイダーズ』についてです。
大麻業界だとほとんど名前も知られていないと思うのですが、ハワード・Sベッカーというアメリカの社会学者が書いた本です。
これ、実は社会学分野では「ラベリング論」の名前と共に、超絶有名な本で、おそらくどの「犯罪社会学」「逸脱行動論」のテキストにも、社会学史のテキストにすら必ず出てくる、戦後アメリカ社会学のもっとも代表的な本の一つです。
戦後日本文学者でいえば、川端康成か三島由紀夫くらいの知名度です、社会学業界内ではね。公務員試験にも頻出なので、日本の公務員で社会学を選択履修した人は覚えているはずなのです。
H.S.ベッカーという人は、いわゆる「シカゴ学派」の系譜にある戦後の人なのですが、もともとちょっとヤンチャで、本当はジャズミュージシャンになりたくて、実際長らくピアニストとしてバンドを組んでいました。
その経験をもとに、社会学者として『アウトサイダーズ:逸脱の社会学』を書いたのですが、これ内容はほとんど『ジャズと大麻の社会学』なんですよね。
要するに、ジャズが黒人、そして放蕩のイメージと結びついて偏見でもって見られていた戦後アメリカの都市状況において、一体なぜ、誰にも直接迷惑をかけているわけでもない、黒人のジャズクラブとそこでの大麻喫煙が、どうしてこれほどギャングや強盗問題などと同程度に問題視されて迫害されているのだろう、というのがベッカーの問題関心なのです。
そして、彼は白人ですが自ら怪しげなアングラジャズをやっていましたので、そこでのクラブ内において、どれほど黒人ミュージシャンらが、自分たちの集団に誇りをもって下らないマジョリティの社会と「距離をとっているのか」を、内側から明らかにしたのです。ここにベッカー社会学の功績があります。私も将来、内側から『日本のアウトサイダーズ』を書いて死後有名になる予定でおります。
もともと、禁酒法後の30年代アメリカにおいて、麻薬取締局を設立させたアンスリンガーは、人種差別的な偏見の持ち主でもあったことから、メキシコ人と黒人の文化を敵視していました。「私は大麻を問題にしているというより、メキシコ人の悪習だから大麻を問題にしているのだ」という露骨にレイシスト的な言葉は有名です。なので、カンナビスト関西は、当然レイシズムに反対します。
そしてまだ黒人公民権も十分に確立されていなかった50年代アメリカにおいて、ジャズミュージシャンといえば、不道徳で、放蕩で、大麻を吸っている犯罪者予備軍で、それだからこそ、白人はちょっぴりの好奇心でもってその世界を眺めて帰宅するような、そういうイメージでみられていました。
しかし一方で、ベッカーが言うには、そうしたジャズミュージシャンらは、そのような白人の「お客さん」を同時に小馬鹿にして、「音楽が何かも知らない連中」「大麻の良さも、ジャズの良さも理解できない連中」として「スクエア=堅物」呼ばわりしていたのです。そうすることで、白人社会からの偏見を相対化し、黒人として、ジャズと大麻を愛するものとして、黒人たちは自らのつながりを強化し、差別に抵抗する精神的拠点を築いたのでした。
ちなみにベッカーによると、ジャズクラブで嗜まれていたのは、ボードリヤールが言ったような「ハシッシを濃いコーヒーと混ぜて飲む」ようなものではなく、ほとんどジョイントであったそうです。やっぱりハーレム街の地下にあるジャズクラブには紫煙が似合うのです。
さてベッカーの有名な「ラベリング論」は、今日では「社会構築主義」といわれている発想の初期的論考です。
要するに、強盗などのように直接他者に危害を加えるような行為ではなく、いわゆる「被害者無き犯罪」がどのようにして出てくるのかといえば、それはもちろん、当該社会の文化、マジョリティの偏見を映したものなのだというのが、ベッカーの言いたいことです。
当時のアメリカ社会では黒人やチカーノ、ジャズクラブと大麻喫煙は分かちがたく結び付けられて語られ、それが「犯罪の温床」「ギャング犯罪」とイコールで結ばれることで、大麻喫煙は厳しく取り締まられました。現在でもそうであるように、アメリカにおいて大麻の是非を問題にするということは、そのような人種差別の歴史と大麻の表象が結び付けられてきたことを、どう評価するのかということだというのは、万人の目に明らかなのです。だから米国の保守主義者は、基本的には大麻合法化に反対し、リベラル派は寛容なのです。
『アウトサイダーズ』の視点からみた、黒人コミュニティと大麻の議論は、この本が有名であるほどには、日本ではほとんど知られていませんが、大麻問題に関心のある人にはとても面白い本なので、紹介してみました。
関西サロン(10月)のお知らせ
10月の大阪でのサロンが下記日程で開催されます。
カンナビスト@関西では、どなたでも参加できるオープンな場として
毎月最終日曜日にサロンを開いています。
* 今回から18時開始です
【大阪サロン(10月)】
とき:10月25日(日) 18:00~21:00
ところ:朱夏
(地下鉄谷町線、中崎町駅から3分)
http://amanto.jp/groups/shuka/
*参加人数やお店の都合などによって、場所が近隣のお店に突然変わっていることがありますので、はじめて参加される方はメールにて一度ご連絡をいただけると確実です。
*参加無料、出入り自由
今回の大阪サロンでは、以下のような話をする予定です。
○本年の活動予定について
○国内における非犯罪化運動の動向報告
○今後、大麻非犯罪化運動を進めていくための諸々の方策
以上のような話だけではなく、雑談なども多くあるかと思います。
「楽しく、真面目に」がモットーの大阪サロンです。
参加者は4名から多くて10名程度の小さな集まりですが、
新規の方も多く身内ノリは全くないと思います。気軽に飲みにきてください。
ご不明な点などは、お気軽に下記メールまでご連絡下さい。
主催
カンナビスト@関西
http://cannabisty.hatenablog.com/
(幹事メール) cannabisty@gmail.com
医療大麻マーチ大阪 2015
昨年も開催された「医療大麻マーチ」が大阪にて2015年も開催されます。
カンナビスト関西はこの企画を後援しています。
とき: 2015年10月11日(日)11時~ 難波神社集合
同 12時~ ピースウォーク開始 (御堂筋を歩きます)
同 13時半~ 高津宮到着 ヘンプマルシェ開催(夕方まで)
参加無料:カンパ制、途中合流歓迎
公式HP(↓)
公式ツイッター
医療大麻マーチ大阪 2015 (@m_m_march_osaka) | Twitter
当日会場でお会いしましょう
『人口楽園』について
今日のサロンで少し話をしていたボードレールの『人口楽園』について、とりとめもなく書いてみたいと思います。
大麻が西ヨーロッパ圏で広く使用されるようになったのはいつごろだろうか、という問題について、ボードレールのその著作はもっとも有名な回答を与えてくれます。
『人口楽園』(Les paradis artificiels)の第一部が発行されたのは1858年のフランス、日本語訳は1955年で、角川文庫から再販されたものを手元に持っています。
ボードレールは、19世紀中ごろのフランス象徴派を代表する詩人・評論家で、フローベールやユゴーと並んで文学史の教科書に出てくる人物であろうかと思います。
当時、ヨーロッパでもっとも「進んでいる国」「文明化された国」というのは、明白にフランスでした。そもそも「文明化」という概念自体が、フランス語圏を出自とする概念です。
ボードレールの時代は、フランス革命が終わり、ナポレオンが登場したさらに後の、二月革命の動乱に揺れる時代のフランスです。フランスの大麻文化はそもそもナポレオンのエジプト遠征(1801年まで)が終わり、そこから帰国した人々によってその習慣が一部で知られるようになるのですが、フランスで花開いた「サロン文化」によって、要するに現代でも至るところにある「アングラ藝術愛好家」の集まりで、ひっそりとアヘンや大麻飲用(喫煙ではありません!)の文化が醸成されていったことで広がりをみせます。
当時の代表的な作家や芸術家の多くが、こうした新奇な酒とは異なる薬に関心をもって、バルザックもデュマも軽いエッセイを書いているのですが、ボードレールはそうした状況の中で、いわば流行の「陶酔論」の決定版を『人口楽園』として刊行するわけです。
ちなみにボードレール自体は『悪の華』が最も有名で、これはロマン派と簡単に括れるような作品ではないのですが、彼の通俗道徳への批判、象徴主義、そして「モデルニテ」(現代性)の概念形成は、後の時代のシュルレアリズムやダダイズム、あるいはアルチュール・ランボーからヴァルター・ベンヤミンに至るまでの前衛文藝に強い影響を与えました。
(時代を今から遡ると、そもそも日本で大麻文化を広めた初期ビートニクというか、世間からヒッピーと呼ばれた世代が、米国のビートニク、例えばアレン・ギンズバーグやバロウズと親交があったことは知られています。そしてギンズバーグらが影響を受けたのは、ベンヤミンや初期ダダイストで、そうした人々が影響を受けたのがこのボードレールと、長いのですが繋がったような繋がらないような話でした)。
さて、彼の『人口楽園』はほとんど、今日流にいえば「大麻飲用の手引きと分析」について書いた本で、初心者はセットとセッティングが大切だ、なんていうことを真面目な顔で語ってくれる、とても良い本です。近代西欧で初めてではないかもしれませんが、かなり初期的な「大麻入門」の本だといって間違いありません。
当時の大麻(ハシッシ)は、「大麻樹脂をバターで溶かした」もので、小瓶に入れた油エキスを「非常に熱いブラック・コーヒーに一匙たらして」飲み込むものでした。
「アシーシュは行動には不向きである。酒のように慰めてはくれない。その人の人格が置かれたその時の状況で、人間の人格を極度に発させることだけしかないのだ。できる限り立派な家なり、美しい風景が必要だし、自由でさばさばした精神が必要だし、その知的性能が諸君のそれに近寄っている若干の共謀者が必要だ。できたら、ちょっとばかり音楽が聞こえるのもいいだろう」(訳27-28)。
そして、その効果としての「時間の消滅」「無限の感覚」「突然の哄笑」について、丁寧かつ分析的に、「アシーシュ」の効用が記されていきます。このあたりは一つ本を読んで下さい。
ところで、こうした「瞬間の持続」「時間感覚のズレ」については、ボードレールが問題とした「モデルニテ」藝術論の、核心的部分なのだと思います。
彼の「モデルニテ(現代性)」の概念は、要するに美学的に美しい出来事というのは、連続する瞬間の、いつでも過ぎ去っていく時間を断片的に切り取った部分にある、ということです。
古典的な美学が教会絵画やギリシア古典にみられるような「形式」「様式美」をモットーとしたのに対して、ロマン派は民族精神・人間精神の発現といった「物語性」を強調しました。ボードレールはそうしたロマン派の流れをくみながら、しかしロマン派には止まらない人物で、20世紀のシュルレアリストが追及したような美の多面性、「瞬間の美学」を強調してロマン派を乗り越えようとします。近代詩・批評の草分け的存在でありながら、とってもポスト・モダンな香りも持っているのです。
すぐれた藝術家の多くがそうであるように、ボードレールもまた、分裂病的な性格をもっていました(というか、ちょっとおかしい人扱いされて裁判所から財産を凍結されています)、だから彼の『人口楽園』を、現代大麻文化に興味を持つ人が読むと、ちょっと面食らう部分もあります。
その通り、彼のこの本は「大麻紹介」の著作であるように見えて、実質は「時間と美の瞬間性・持続性」についての藝術論であり、「大麻は良いものだよ」といいながら「でも、社会にとって必ずしもいいものじゃない」と、突然カトリック教徒のように真顔で釘を刺したり、明らかに彼の「モデルニテ」論と連続性がありそうな「瞬間の持続」について語りながら、一方で「酩酊は単なる自分の鏡で、本質はそこにはない」と語ったり、そもそもが論理的には矛盾している本なのです。
そして私は、そこの部分からしてもう、彼の議論は「モダン」な時代における「ポスト・モダン」論の先駆けをみせてくれて、とても面白かったりするわけです。要するに『人口楽園』という本は、ハシッシを飲みながら書くと、まあそうなるよねっていう、おそらく近代西欧でもっとも初期的で代表的な本だというお話でした。
9月サロンのお知らせ
9月の大阪でのサロンが下記日程で開催されます。
カンナビスト@関西では、どなたでも参加できるオープンな場として
毎月最終日曜日にサロンを開いています。
【大阪サロン(9月)】
とき:9月27日(日) 19:00~21:00
ところ:朱夏
(地下鉄谷町線、中崎町駅から3分)
http://amanto.jp/groups/shuka/
*参加人数やお店の都合などによって、場所が近隣のお店に突然変わっていることがありますので、はじめて参加される方はメールにて一度ご連絡をいただけると確実です。
*参加無料、出入り自由
今回の大阪サロンでは、以下のような話をする予定です。
○直近のイベントについて
○国内における非犯罪化運動の動向報告
○今後、大麻非犯罪化運動を進めていくための諸々の方策
以上のような話だけではなく、雑談なども多くあるかと思います。
「楽しく、真面目に」がモットーの大阪サロンです。
参加者は4名から多くて10名程度の小さな集まりですが、
新規の方も多く身内ノリは全くないと思います。気軽に飲みにきてください。
ご不明な点などは、お気軽に下記メールまでご連絡下さい。
尚、サロンでは以下のようなことはお断りしています。
*ナンパ行為
*違法の物品の持込や、その他法令に触れる行為
主催
カンナビスト@関西
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(幹事メール) cannabisty@gmail.com
マリファナ・マーチの歴史
マリファナ・マーチは1999年以降に世界中で、大麻への処罰を軽減/撤廃しようという主張と共に行われてきました。
2015年大阪のマリファナマーチは8月2日正午から服部緑地公園で開催されます。
マリファナマーチ2015 Osaka - cannabistyのブログ
欧米では現在、EU圏の大部分の国で大麻の少量所持によって懲役刑を科されるということはなくなり(オランダが有名ですが、例えばスペインやポルトガルでも事実上の合法化が行われていて罰則は適用されていません。デンマークなど他の国でも営利目的の栽培などを行っていなければ罰金等の軽い行政罰が適用される場合が多いです)、米国でも西海岸のほぼ全域と一部東海岸において、事実上の非犯罪化が進みました。
マリファナ・マーチは正式名称をGlobal Marijuana Marchと呼び、その名の通り世界中の72か国における800箇所で開催されていて、大きなものではトロントのGMM(↓)が有名です。北米、南米、欧州、オーストラリアなどで開催され、世界的にはかなり有名な文化的ムーヴメント/お祭り/社会運動であります。
日本では、当初市民団体のカンナビストが中心となって、1999年から東京、大阪、札幌などの都市で開催されてきました。
マーチは決して、奇想天外な集まりではなく、単に最近の研究からコカインや覚せい剤、あるいは一部の危険ドラッグといった本当に有害性の高いドラッグと大麻は異なることが判明し、これはアルコールやタバコと同じように社会的にコントロールの可能なソフトドラッグであるなら、そうしたものの利用者に、懲役刑という重大な罰則を適用するのは行き過ぎであると主張する、緩やかな文化的ムーヴメントでした。
そして事実、マリファナが合法化され、既に一般の店舗で売られているシアトルやオレゴンといった米国諸州やオランダ、あるいは古くから喫煙習慣のあるインドや中近東の一部地域やジャマイカ等において、マリファナを原因とする死亡事故や殺人などの重大な犯罪は認められないのです。
確かに、子供の喫煙をどのように防止すべきなのか、自動車運転の規制をどうすべきかといった論点はアルコールと同じくあり続けていますが、しかし現在の欧米では、だからといって個人の少量所持が懲役刑に値するのだという見解のほうが、かなり奇抜で、頑固なまでに保守的な(極端なプロテスタントの倫理を主張する宗教右派の)発想だと受け止められています。ここでの社会的討論の題材は社会的な教育や、課税方法や、医療用使用の方法や、公的な場での喫煙に対する罰金の可否であって、1グラムの大麻を個人が持っているだけで何年も刑務所に入るべきだなどと主張する人は、とても少なくなってきました。
こうした過去20年間における考え方の変化は、最近もナショナル・ジオグラフィックで特集されたような大麻への科学的研究の進展だけではなく、個人に過度の罰則を科すべきではないと考える、リベラルな若者たちのムーヴメントが大いに関係しています。そしてその内の一つが、Global Marijuana Marchであったことは間違いないのではないでしょうか。
ヨークタウン、2014年マーチ
アルゼンチン、2014年マーチ
一人のカンナビストとして戦争反対を
本日7月15日に衆院特別委員会でいわゆる戦争法案が可決され、日本は戦後の立憲主義と憲政にとって大きな分水嶺を迎えました。
私、山本は一人のカンナビストとして、大麻には個人に懲役を科するほどの明白な害悪はなく、社会規範から逸脱しているという理由で厳罰を科し続けるのは禁酒法や同性愛禁止法(ソドミー法)のような人権問題だという一点を中心として、大麻取締法に反対してきました。
もちろん、こうした主張は私たちが始めたわけではなく、1960年前後のビートニクから70年前後のヒッピー・ムーヴメントの中で繰り返し主張されてきた問題でした。そして、そうした古くからの大麻摘発への批判者たちは、ほとんど例外なく、同時に自由と平和を愛する人々であり、ベトナム戦争やイラク・アフガン戦争に反対し、原発に反対してきた人々であったことも忘れてはいけないと思います。
戦争や原発を推進することで、いつでも得をするのは大企業や政府高官であって、そして実際に命を落とし、あるいは生活を奪われるのはいつでも名もなき民衆であるということ、そして戦争を推し進めるために支配者が言う言葉は、いつだって「私たちの国が危険に晒されている。これに抵抗することが平和を愛する国民の義務である」というセリフでした。
どのような先制攻撃も、それこそWW2からイラクやパレスチナに至るまでの攻撃も、全てはこうした「自国を守るための平和への戦争」として時の権力者は外部からの危機を語り、防衛の必要性を語りながら国民を戦争に駆り立てました。
「国民を戦争に参加させるのは簡単なことだ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」
ヘルマン・ゲーリング
あまりカンナビストの活動としては、政治的な問題には言及してこなかったのですが、大麻問題と関係の深い戦争と平和の話であるなら、こればっかりは言及しないということも、また「無視・無関心であるという立場」にならざるを得ないのだろうと思います。
そして、民衆の一人として大麻摘発に反対してきた人々、例えばポンさんこと山田塊也さんや、アレン・ギンズバーグや、あるいはアメリカの緑の党の人々は、政治的な右派左派の問題としてではなく、こうした戦争の現実に対して一貫して同時に強く反対し、そんな下らない権力者の言うことなど聞くものかと風刺を行ってきました。そして私も、そのような立場の一人でありたいと思います。
そんな自由と平和を愛するマリファナ・マーチは2015年8月2日の正午から、服部緑地公園にご参集ください。