東京マーチお疲れ様でした

東京マーチに、カンナビスト@関西のオーガナイザーと二人で参加してきました。

当日の模様を、私が密かに尊敬する秋山理央さんのカメラが伝えてくれています。

秋山さんは、ヘイトデモへのカウンターや反原発デモで何度もみかけていて、挨拶をしたことくらいはありますが、なにぶん彼はカメラを持っている時には常在戦場でありますので、邪魔をしないように遠くから見ています。リスペクト。

 

現在、大麻合法化/非犯罪化が進んでいる全ての国において、まずあるのは下からの、民衆のムーヴメントです。行政や企業はそのあとから、のっしりのっしりと、重い腰をあげるだけです。現代日本の、ヘイトスピーチ規制法もそのように設立されました。

オランダの合法化運動も、一番最初はProvo運動という、藝術集団によって牽引された、ハプニング/管理的な社会秩序に対する挑戦によって担われたのです。Provoの人々は、60年代にオランダ王室の結婚式を痛烈に揶揄し、そして自動車社会を批判するために無償の自転車を人々に配布しました(ホワイト・バイシクル運動)、さらに勝手に大麻の種をまいて、公然と路上で吸い始めました。

 

いつでも、こうした一部の民衆の活動は、当初馬鹿にされ、白眼視されるものです。馬鹿にされたり、反道徳的だと言われない民衆の運動は、それを恥じるべきで、だから何をつまらないことをやっているのだと言われることは、名誉なことです。

 

Global Marijuana Marchは90年代末に開始されましたが、この運動を創始した人々は、いわゆる「ヒッピー」というよりは「イッピー」でした。

Youth International Party(頭文字をもじって、イッピーだと称しました)は、アビー・ホフマンや日本でも有名な詩人のアレン・ギンズバーグらによって1967年に設立され、ベトナム反戦運動に参加する、広範な若者の支持を得ました。

イッピーたちは、当時の黒人差別、同性愛者差別に反対し、ジョン・シンクレアの逮捕に抗議しました。シンレクアは、当時ベトナム反戦運動の活動家でしたが、おとり捜査によって大麻の所持容疑で収監されます。彼のことを、ジョン・レノンとヨーコが歌ったのはあまりに有名な話です。

 

 

この時から、イッピーが米国の大麻取締に反対し、反戦・反差別・大麻合法化を旗印に、60年代から70年代の米国社会で存在感を示します。日本では山田塊也(ポンさん)や山尾三省、ナナオサカキといったビートニク/ヒッピーの放浪者が、反原子力大麻合法化を叫んでいた、そういう時代です。

その後、イッピーの活動は緑の党エコロジー主義、草の根の大麻合法化、環境運動に散開していきますが、彼らは90年代まで生き延びて、Global Marijuana Marchを呼びかけました。

それが、東京で最初に開催されたマリファナ・マーチの系譜です(ただし東京のメンバーとイッピーらと直接のつながりはありません)。

 

大阪のマーチは、5月21日の日曜日正午から、柏原のLive Bar POUNDでひっそりと高らかに開催されます。