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大麻報道センターの裁判について思うこと

 

先日はサロンが無事終了しました、ありがとうございました。

次回は2月26日(日)18時から、同じく中崎町朱夏の予定です。

 

さて最近、大麻報道センターの白坂さんが関係する裁判が結審(上告棄却)しました。

結果は公式サイトを参照してください。日本の今までの司法と同じく、内容には踏み込まない形式主義的な裁判で、要するに現状追認です。白坂さん本人は、まるで「カフカの世界」にいるようだと述べていますが、全くその通りだと思います。

asayake.jp

 

白坂さんの主張は、最終的には負けるにしても、せめて正面から取り扱われ是々非々が判例に記載されるべきものなのですが、検察と裁判所は全く取り合わず、被告が何を言おうがおかまいなしです。こうしたマイノリティの主張が、日本の司法においてまともに取り上げられるということは滅多にありません。特に高裁、最高裁であればなおさらです。

地裁であれば、もう定年間近となった裁判官が、自らの信じる法学の理念に則って、政権与党や行政の慣例と保守的体制に反対するような判例をだすことはごく稀にあるのですが(例えば、北陸での原発差し止め裁判)、高裁以上となると、裁判官は法務省および検察とほぼ一体化して、自らの保身のために政治=行政と結託した判例を出すのが、「日本というシステム」の通例です。

多くの裁判官と検察が守っているものは自己のみみっちい官僚制的な地位なのであって、近代法学の崇高な理念ではありません。ハンス・ケルゼンが泣いていますよ。

 

このシステムによって、これまで幾度も公害の被害者が、原爆と原発の被害者が、そして少数民族の尊厳が否定されてきました。彼らは当初全て、門前払いでした。

そして時代が後になって、やっと世間が水俣病原爆症の人々に「同情すべき」だと声をあげはじめた時、司法は最後になって重たい重たい腰をあげたに過ぎないのです。それも不承不承に。

 

最近、中国の司法当事者が、司法と政府は一体のもので分離しているというのは近代西欧の理想に過ぎないから、私は政府/行政と一体化すると臆面もなく述べました。なんというクソみたいな本音の吐露でしょう。日本もまさに建前としては「司法の独立」を掲げながら、実質的には、このようなどうしようもない中国の裁判官と一緒で、官僚制/自民党のシステムと癒着し、チッソの被害者を抑圧してきました。なぜなら、チッソは守られるべき「国益」で、「日本というシステム」にとっての必要悪とみなされたからです。それでは、必要悪とやらに抑圧された個々人の人権はどうなるのでしょう。人権を基盤とし、社会的自由を目的とするのが、近代的な法の体系なのではなかったのでしょうか。残念ながら、日本ではそうではありませんでした。

 

しかし、それでも未来は私たち少数者のものです。米国でトランプに抑圧された難民と、その支援者らが確信している通り、このような無体に対して、私たち民衆は本質的な力をもっています。いくらトランプが裕福で、大企業を運営しているといっても、その企業は所詮働く人々を欠いてはありえないが故に、根源的な力はみせかけの権力者ではなく、私たち社会の民衆全員がもっているのです。権力者はそれを恐れているがために、強がっている臆病者にすぎません。

 

未来は僕らの手の中、にあります。

 

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