俗情とバッシング

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(松本は)「単純に隣住んでる人が大麻やってるって言われたら嫌やもんね。すごいシンプルで人の嫌がることせんで欲しい」と苦言を呈した。

高樹については、これまで複数の本を書いているようで、彼女のライフヒストリーには興味がある。タイトルを一見すると、島薗進らがこれまで的確に探究してきた自足的で個人的な「スピリチュアリズム」の類型にように見えるけれども、一方で今回のような個人史はそのような括りでのみ語れるものでもないからと思って、彼女の本を全て古書店で注文した。そのうち、事件については学術誌でまとまった論考を書こうと思う。

 

この芸人はもともと、安保反対運動に対しても「中国の脅威に対して対案がないなら、反対とか意味がない、反対は平和ボケ」などと言っていたような人で、要するに保守的だといえば保守的なだけだと言えばその通りだと思う。

 

一方で、彼は別に頭の悪い人ではないだろうから、日本で最も売れた芸人の一人として、多数派の空気を読んで、先回りをしてそのマジョリティが代弁して欲しいだろう「本音」を吐露する、そうした役割演技も同時に行っている。ここでの彼の発言は、彼の欲望というよりは、彼が観察した、テレビの前の多数派の欲望の先取りだ。

 

そうしたテレビ的なキャラクターとは別に多分本当のところを言うと、彼は執拗に映画監督として美学的に評価されることを望んでいたように、彼は大衆的であると同時に、高い批評性でもって、前衛的な活動もしている人だと評されたいのだろうとも思う。

もちろん、美学的、批評的な評価を彼は全く受けなかったし、むしろ失笑をかった。その典型的な痛々しい「滑った」場面を、彼のファンでは全くない私はなぜか鮮明に覚えていて、それは「大日本人」の上映会をパリで行った際のコメントであったと記憶している。

当時、フランス政治史において極右の一人として「移民の黒人を叩き出せ」発言で有名となったサルコジ元大統領が、当選したばかりであった。彼はブッシュの身振りを真似していたと評されたが、今から見るとトランプの手法を先取りしている側面もあった。オランドが大統領になる前のことだから、もう10年もたつのではないだろうか。

この時サルコジは少なくとも、レイシズム経済右派の象徴として振る舞っていて、自覚的にそのようにしてフランス白人のナショナリズムを煽り、新保守派の支持を取り付けようと振る舞っていた、だから映画人や藝術家、大学人といったフランスの知識人層からは蛇蝎のように忌み嫌われていたと同時に、知的には小馬鹿にされていたのは自明の文脈だった。いったい誰が、G.W.ブッシュを教養的側面から擁護するだろうか。

 

ところが松本は、そうした映画人の集まる上映会で、時事的なジョークを言おうとして思いっきり滑った、「この映画は、当選したばかりのフランス首脳も気に入ってくれるだろうと思います」。会場は一瞬凍りついて、そのあと失笑が漏れた。観客は松本がブラック・ジョークを言わんとしていたのか、あるいは通約が誤訳をしたのか測りかねていた。そのまま松本は不思議な顔をしながら舞台を降りた。

 

このシーンはとても印象的で、ああこれがもし日本の舞台だったら、それなりに「なんとなく政治について発言したのだろうから社会派というか、そうした関心もあるのか」と捉える向きすらあったのかもしれない。

松本はひょっとしてサルコジが当時の日本の首相のように諸外国に対してマッチョな態度をとり、「断固決然」とした印象をもっていることに第一印象として好感を覚え、特に何も考えずに印象を追認する発言を行ったのだったろうか、あるいは本当に何も知らずに、何も知らなくても政治的発言を行えば笑ってくれると思ったのだろうか。

 

こうした歴史的経緯と政治的文脈についての知的な「軽さ」は、松本が代表する日本のタレント発言の典型例だと、私は思った。

だから彼は今回も、法規制の歴史的・政治的文脈には何も触れずに、ただ「法に違反している→したがって道徳に違反している→それは悪いことで人の迷惑だから迷惑になることは駄目だ」と言った。このような発言においては、ここで高樹が過去10年以上行ってきた私的な物語も、社会科学的な諸外国の施策への検討も、何も必要はない。ただあるのは、彼女が「容疑者」であり(しかも当人が未だ否認している)、容疑者であるということは犯人であり、犯人であるということは悪人であるという、ただそれだけの自動的な個人に向かう非難だ。彼女は、仮に罪が確定したとして、それで彼女自身の行いについて責任を取らされたというのに。

溺れる犬は石もて打て。その通りだ、日本のマジョリティはいつもそのようにして、反射的に他者を断罪し、村八分にしてきた。半世紀も前に神島二郎が「日本的な村社会の心性と、あの戦争の情動的な肯定は結びついている」と評した通りだ。松本はその卑小な心性を、的確に代弁しつづけける。チャップリンブレヒトか、あるいは小津安二郎に憧れた夢を見る、多数派の代弁者の哀しい抜け殻。

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