『人口楽園』について

 今日のサロンで少し話をしていたボードレールの『人口楽園』について、とりとめもなく書いてみたいと思います。

 

 大麻が西ヨーロッパ圏で広く使用されるようになったのはいつごろだろうか、という問題について、ボードレールのその著作はもっとも有名な回答を与えてくれます。

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 『人口楽園』(Les paradis artificiels)の第一部が発行されたのは1858年のフランス、日本語訳は1955年で、角川文庫から再販されたものを手元に持っています。

 ボードレールは、19世紀中ごろのフランス象徴派を代表する詩人・評論家で、フローベールユゴーと並んで文学史の教科書に出てくる人物であろうかと思います。

 

 当時、ヨーロッパでもっとも「進んでいる国」「文明化された国」というのは、明白にフランスでした。そもそも「文明化」という概念自体が、フランス語圏を出自とする概念です。

 ボードレールの時代は、フランス革命が終わり、ナポレオンが登場したさらに後の、二月革命の動乱に揺れる時代のフランスです。フランスの大麻文化はそもそもナポレオンのエジプト遠征(1801年まで)が終わり、そこから帰国した人々によってその習慣が一部で知られるようになるのですが、フランスで花開いた「サロン文化」によって、要するに現代でも至るところにある「アングラ藝術愛好家」の集まりで、ひっそりとアヘンや大麻飲用(喫煙ではありません!)の文化が醸成されていったことで広がりをみせます。

 

 当時の代表的な作家や芸術家の多くが、こうした新奇な酒とは異なる薬に関心をもって、バルザックもデュマも軽いエッセイを書いているのですが、ボードレールはそうした状況の中で、いわば流行の「陶酔論」の決定版を『人口楽園』として刊行するわけです。

 

 ちなみにボードレール自体は『悪の華』が最も有名で、これはロマン派と簡単に括れるような作品ではないのですが、彼の通俗道徳への批判、象徴主義、そして「モデルニテ」(現代性)の概念形成は、後の時代のシュルレアリズムやダダイズム、あるいはアルチュール・ランボーからヴァルター・ベンヤミンに至るまでの前衛文藝に強い影響を与えました。

(時代を今から遡ると、そもそも日本で大麻文化を広めた初期ビートニクというか、世間からヒッピーと呼ばれた世代が、米国のビートニク、例えばアレン・ギンズバーグバロウズと親交があったことは知られています。そしてギンズバーグらが影響を受けたのは、ベンヤミンや初期ダダイストで、そうした人々が影響を受けたのがこのボードレールと、長いのですが繋がったような繋がらないような話でした)。

 

 さて、彼の『人口楽園』はほとんど、今日流にいえば「大麻飲用の手引きと分析」について書いた本で、初心者はセットとセッティングが大切だ、なんていうことを真面目な顔で語ってくれる、とても良い本です。近代西欧で初めてではないかもしれませんが、かなり初期的な「大麻入門」の本だといって間違いありません。

当時の大麻(ハシッシ)は、「大麻樹脂をバターで溶かした」もので、小瓶に入れた油エキスを「非常に熱いブラック・コーヒーに一匙たらして」飲み込むものでした。 

 「アシーシュは行動には不向きである。酒のように慰めてはくれない。その人の人格が置かれたその時の状況で、人間の人格を極度に発させることだけしかないのだ。できる限り立派な家なり、美しい風景が必要だし、自由でさばさばした精神が必要だし、その知的性能が諸君のそれに近寄っている若干の共謀者が必要だ。できたら、ちょっとばかり音楽が聞こえるのもいいだろう」(訳27-28)。 

 そして、その効果としての「時間の消滅」「無限の感覚」「突然の哄笑」について、丁寧かつ分析的に、「アシーシュ」の効用が記されていきます。このあたりは一つ本を読んで下さい。

 

 ところで、こうした「瞬間の持続」「時間感覚のズレ」については、ボードレールが問題とした「モデルニテ」藝術論の、核心的部分なのだと思います。

 彼の「モデルニテ(現代性)」の概念は、要するに美学的に美しい出来事というのは、連続する瞬間の、いつでも過ぎ去っていく時間を断片的に切り取った部分にある、ということです。

 古典的な美学が教会絵画やギリシア古典にみられるような「形式」「様式美」をモットーとしたのに対して、ロマン派は民族精神・人間精神の発現といった「物語性」を強調しました。ボードレールはそうしたロマン派の流れをくみながら、しかしロマン派には止まらない人物で、20世紀のシュルレアリストが追及したような美の多面性、「瞬間の美学」を強調してロマン派を乗り越えようとします。近代詩・批評の草分け的存在でありながら、とってもポスト・モダンな香りも持っているのです。

 

 すぐれた藝術家の多くがそうであるように、ボードレールもまた、分裂病的な性格をもっていました(というか、ちょっとおかしい人扱いされて裁判所から財産を凍結されています)、だから彼の『人口楽園』を、現代大麻文化に興味を持つ人が読むと、ちょっと面食らう部分もあります。

 その通り、彼のこの本は「大麻紹介」の著作であるように見えて、実質は「時間と美の瞬間性・持続性」についての藝術論であり、「大麻は良いものだよ」といいながら「でも、社会にとって必ずしもいいものじゃない」と、突然カトリック教徒のように真顔で釘を刺したり、明らかに彼の「モデルニテ」論と連続性がありそうな「瞬間の持続」について語りながら、一方で「酩酊は単なる自分の鏡で、本質はそこにはない」と語ったり、そもそもが論理的には矛盾している本なのです。

 そして私は、そこの部分からしてもう、彼の議論は「モダン」な時代における「ポスト・モダン」論の先駆けをみせてくれて、とても面白かったりするわけです。要するに『人口楽園』という本は、ハシッシを飲みながら書くと、まあそうなるよねっていう、おそらく近代西欧でもっとも初期的で代表的な本だというお話でした。